昨日玉置浩二のコンサートへ行ってきました。
パフォーマンスの素晴らしさはもちろん、その他色々思う所があり、今日はその事を書きたいと思います。
国内の有名なクラッシックコンサート会場でオーケストラと歌う玉置浩二は芸術家。
武道館、野球場と言った大きな舞台で安全地帯と歌う玉置浩二はバンドマン。
ディナーショーで歌う玉置浩二はハイソ向けのエンターテイナー。
そしてソロで各地を回る玉置浩二は、大衆のための歌手。
“大衆のための歌手”。
私のネーミングセンスが悪く響きが悪いかもしれないが、私の中では感謝以外の何物でもなく、玉置浩二の歌手としての矜持を感じ、信念の強さとブレのなさにただただひれ伏す気持ちになる。
時代が変わり、田舎にいてもテレビやYouTubeで都会に住む人たちと遜色ない程度に情報やエンターテイメントに触れることができる。
それでもやっぱり“生”で本物を味わえる機会は圧倒的に少ない。
そんな“私の町”に、”となりの町“に、玉置浩二がやってくる、と言う感激と興奮。
町役場や回覧板で玉置浩二が来るんだと知る。田舎では、玉置浩二は、“玉置浩二さん”でも、“玉置さん”でもない。
みんなが“玉置浩二”と呼ぶ。森繁久彌や美空ひばり、郷ひろみ、手の届かない人には“さん”はつけない。
人気でなかなか取れないチケットや、ネットを使った取り方が分からなくても、たまたまその公民館や地元のホールの会員であれば電話をすればチケットが取れたりする。
自分が会員でなくても近所の人が会員で声を掛けてくれるかもしれない。
どんなに情報が発達しても、地方はそう言う部分は残っている。
そしてそんなところを忘れないで小さな会場に来てくれる。
毎年行われるソロのコンサートでは、どんな曲を披露し、アレンジはどうするか、曲の順番は?、聴衆のためにそこに色んな配慮がされる。
それでもやっぱり最終的には玉置浩二の歌声が全てである。昨日もやはりそうであった。みんな彼の歌に酔いしれ惜しみない拍手を送った。
その昔、テレビやラジオがない時代、歌が上手な子供が段ボール箱の上に立って歌い、親兄弟、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人は喜びで大きな拍手を送る。子供も喜んでもらいたいと一生懸命歌う。
なんとなくそんな風景がコンサート中脳裏を横切った。
みんなを自分の歌で喜ばせたいと一生懸命歌ってくれる玉置浩二を見て感じで楽しんで。
やっぱりそんな玉置浩二が私は大好きである。