アラフィフ女子's diary

玉置浩二、乗馬、ダイエット、仕事、家族の色々

#介護日記 母との最期の11か月――在宅介護で見つけた穏やかな時間

こんにちは。お久しぶりの更新になってしまいました。

 

実は、4月6日の夜中、母が息を引き取りました。

昨年末あたりから、突然の高熱が出たり下がったり。抗生剤で一度は落ち着いたものの、今度はむくみがひどくなり、2月には手足がパンパンに。肺にも水がたまり、ちょっと動くだけでヒューヒューと息の音が聞こえるようになりました。尿も出づらくなっていたので、ステロイドを増やして対応。すると少しずつ尿が出て、むくみも改善していきました。

 

呼吸の音も落ち着いてきた3月。ほっとしたのも束の間、今度は右足の血流が悪くなり、みるみるうちに足先が黒く壊死していきました。初めは「痛い」と反応があり、カロナールを飲ませながら処置していましたが、やがて痛みを感じなくなっていきました。せめて壊死が足先だけで収まりますように…と看護師さんとも願っていました。

 

ところが、3月下旬になると今度は尿が出すぎて脱水のような状態に。医師からは「尿崩症」と言われ、水分のコントロールが難しくなっているとのこと。もう長くはないかもしれない…と、看護師さんからもやんわりと伝えられていました。

 

亡くなったのは日曜の夜中。数日前の往診では「まだ回復の可能性はあるかも」と言われていたのに、金曜あたりから、目が閉じられなくなり、手が意思とは無関係に動き、口も開いたままのことが増えていきました。そして日曜の夜、叔母、兄、私、そして我が家の猫・キナコに見守られながら、静かに旅立ちました。

 

振り返れば、退院してから約11か月の在宅介護でした。

 

最初は痒みがひどくて、体力のあった頃は掻きむしって血だらけになることも…。でも、ヘルパーさんや訪問看護師さんの支えがあって、だんだんと穏やかに過ごせるようになりました。秋ごろには、介護が「しんどい」と感じることは、ほとんどなくなっていた気がします。

 

母は、胃ろうで言葉もほとんど話せず、自分で立って動くこともできませんでした。本来ならとても寂しく、切ない状態かもしれません。でも、在宅介護をするうえでは、これが本当に助かる条件でもあったのです。

 

「動き回って目が離せない」「暴言や愚痴で精神的に辛い」「食事の準備と介助が大変」「オムツを拒否して大騒ぎ」――そんな介護でありがちな悩みとは、無縁でした。

 

母がいなくなって、とても寂しいです。もう2週間が経った今ではだいぶ落ち着きましたが、亡くなってすぐの頃は、朝起きて「オムツ替えなきゃ」「今日も熱あるかな」と反射的に思ってしまい、「あ…もういないんだった」と気づいて涙が出ることも。

 

在宅介護って、誰もができるわけではないと実感しました。介護される側の状態、介護する側の生活環境、それぞれの条件が重なって、たまたま私には「できた」んだと思います。

 

私はちょうど仕事を辞めたかったタイミングでしたし、兄も完全ではないけれど一緒にいてくれて、出かけたいときには出かけられました。もちろん、外出後には「放っておいてごめんね」と思う気持ちもあって、それが逆にやさしく接するきっかけにもなっていました。

 

経済的にも、父が兄の障害を考えて用意してくれていたおかげで、特に困ることなく生活できていました。

 

それでも、「もう二度と母に会えない」という事実は、本当に淋しいです。

でも、この11か月、一緒に過ごせてよかった。ちゃんと見送れてよかった。そう思える介護だったことが、私の心の支えです。

 

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