こんにちは。ずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。
今週末は母の四十九日を迎えます。
この数週間は、母の銀行口座の整理や、次々にやってくる支払いラッシュ(固定資産税や自動車税、母の口座から引き落とされていた介護関連の費用など)に追われ、さらに保険の名義変更、兄の障害者手帳の更新手続きなど、地味に忙しくしていました。
さて、その兄のことなのですが、以前にも少し書いたように、いわゆる自閉スペクトラム症の人です。母が元気だった頃は、まさに「母命」。母に全信頼を寄せ、母だけを心の拠り所にしているような人でした。
私や父にはほとんど挨拶すらしませんでした。
「どうせ文句言われるだけ」と思っていたのかもしれません。
たとえば家族全員が揃っていても、兄の口から出るのは
「お母さん、いただきます」
「お母さん、ただいま」
「お母さん、おやすみなさい」
「お母さん…」「お母さん…」
とにかく、どんなときも母にだけ語りかけるような日々。
もうすぐ60歳になる兄ですが、その姿はまるで子どものようでもありました。
そんな兄だったので、母がいなくなったらどうなってしまうのか、私はもちろん、周囲もとても心配していました。
ところが――。
兄は、母が亡くなったあとも、まるで何事もなかったかのように、いつも通りの生活を送っているんです。
悲しんでいる様子もなければ、混乱している様子もない。
つらいのかどうかも、そもそも感情があるのかどうかも、正直よくわかりません。
あまりにも「いつも通り」なので、気になって調べてみたところ、自閉スペクトラム症の人にとっては、「身近な人が亡くなった」という事実よりも、「自分の生活の環境が変わるかどうか」のほうが、よほど重要なのだそうです。
そういう意味では、兄の生活はほとんど変わっていません。
だからこそ、兄にとっては“何も起きていない”のと同じ感覚なのかもしれません。
私はといえば、「やっぱり普通じゃないな」と思いつつも、「それで良かったのかも」と、ちょっとホッとしている自分もいます。
母の不在にパニックになる兄を前にしても、私にできることなんてありませんから。
兄の”普通”と私の”普通じゃない”、これからも続きます。