母が旅立って、もうすぐ三週間になります。
今は、口座の解約や役所への手続きをしながら、少しずつ自分の時間も増えてきました。
これから何をしようかな、などと考えることもありますが、まずは家の片づけが最優先かなと思っています。
そんな中で、最近よく考えるのが、「長生きすることは本当に幸せなのだろうか」ということです。
母の近所には、94歳になるよし子さんという方がいます。
母よりも10歳年上ですが、今でも元気で、長男夫婦と同じ敷地内に一人で暮らし、家のことも自分でこなしています。それでも、94歳ともなると、自分より若い知人・友人たちが次々に亡くなり、寂しさを抱えているようです。母のところにお線香をあげに来たときも、「淋しいから、私も連れていって。そのうち私も行くから」と何度も繰り返していました。
きっと、それが本音なのだろうと思います。
私自身も、「人生100年時代」と言われると、この先、まだ40年以上もあると思うと、さてどうしよう、やっぱり何か仕事をしたほうがいいのかな、などと考え込んでしまいます。
昔なら、55歳が定年でした。
今、57歳の私は堂々とリタイアしていてもおかしくない年齢なのに、「働いていない」と思われることで、世間から冷たい目で見られるのではないか、とつい気にしてしまいます。やっぱり世の中「現役」でいる方が生きやすく出来てるんですよ。
難しいのは、人間には「死にたくない」という本能があることです。
その本能に従って医療は発展し、私たちはどんどん長生きするようになりました。
たとえ私自身が「そんなに長生きしたくない」と思っていても、いざ病気になれば、おそらく私は病院に行き、治療を受け、薬をもらって、できるだけ治そうとするでしょう。
寝たきりになった母に対しても、少しでも良くなればと、看護師さんや主治医の先生と一緒に、色々と相談しながらお世話をしていました。
人間の本能に、あまり耳を傾けすぎるのも考えものかもしれません。
本能の声は、ほどほどに聞き流すくらいが、ちょうどいいのかもしれないな、と最近は思っています。まあ、無理でしょうけどね。