最近、母とのコミュニケーションがとてもシンプルになりました。脳梗塞の後遺症で失語症になり、彼女が言えることといえば「寒い」「痒い」「眠い」くらい。家族のことも分からなくなってしまい、どうやら私のことも忘れてしまったようです。
これについて「それはつらいね」と言われることもありますが、私はどこかドライに「まあ、もう年だし、しょうがないよね」と割り切っている自分がいます。
でも、実はこれには良い面もあるんです。親子だからこそ、気恥ずかしくてなかなか言えなかったことが、今では素直に言えるようになりました。母が私を認識できないからこそ、言葉に対するハードルが下がったというか、言いたいことをそのまま伝えることができるようになったんです。
もちろん、母が私の言葉を理解できる時に感謝を伝えたかったという気持ちもありますが、今でも母は母で、母が分からなくても、私は母をしっかりと感じています。
最近は、寝ている母をじっと観察することが多くなりました。なんだか、彼女が人間というよりも、生物としての終わりを迎えているような感覚になることがあります。この人の一生はもうすぐ終わるんだなぁ、と。80年以上生きたこの人が、大切にしてきたものが兄であり、私であり、そして私たちを育ててくれたんだなぁ、そして、母は生物として子孫を残すという役割をしっかりと果たしたのだな、と。
ちょっと変ですかね、私って。
そんな母を見ながら、「私はここまで大切に育ててもらったんだな」と思うと自分の事も大事に思えてきます。