アラフィフ女子's diary

玉置浩二、乗馬、ダイエット、仕事、家族の色々

高齢化家族の現実と終活ノート

80を過ぎ年々老いていく母親と暮らすと色々思う事が出てくる。

 

先日も保険会社の営業の方が年に1度の契約の確認に家に来た。

そして一通りの説明が終わった後、プレゼントと称して終活ノートをカバンから取り出して説明を始めた。

 

当の母親は何を思って聞いていた のか分からないが、聞いているこっちが何とも切ない気持ちになってしまった。

80過ぎてトボトボと歩くのがやっとの人間に「終活ノート」って、“死”があまりにもリアル過ぎて怖く・・・私には少々無神経に思えてならなかった。

 

母親は77才を過ぎた頃からだいぶ衰えが目立ち、もともとのずるい性格と相まって、最近ではほとんど何もやらない。

とりあえず自分の事は出来るのでそれだけでも有難いと思うことにしているが、上げ膳下げ膳の挙句にあれを取れこれを取れと言ってくる時はイラっとしてしまう。

 

そして何よりも全く片づけをしなくなったので、すごい数の服があちこちの椅子の背もたれに掛かっていたり、机の上に放ってあったりする。

押し入れには何箱も服がパンパンに入った化粧箱があるにも関わらず、「デイサービスに来ていく服がない」とブツブツ言うのを聞く度に、母親のお葬式の翌日に全部この服を捨ててやる!と思う。

 

それでも会社から帰り、お風呂上りでのんきにテレビをぼんやり見ながら私の帰りを待っている母親の顔を見ると、(何事もなく1日無事に過ぎたんだな)とほっと安心をする。

 

何も変わらない、何事もなく無事に過ぎた時に一番の幸せを感じるなんて、私こそ年を取ったとつくづく思うがこれが本音である。

 

やはり年齢が高い家族構成の家では閉塞感を感じざるを得ない。Elon Muskも先日このような事をTwitterでつぶやいていた。日本全体がそうなっているのだと。

 

子犬でも飼おうかな~。

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