私が玉置浩二が大好きだというのは、何度もここに書いている。
そして古今亭志ん生も大好きである。
ちなみにタモリも高校生の頃から大好きであるが、玉置浩二との共通点は”た”しか思いつかなにので今回は省略する。もう一人大好きな田村正和も”た”つながりである。
そんな事はどうでもよい。
本題の玉置浩二と志ん生の私の中の共通点は、どちらも聞くと「映像が浮かぶ」と言う点である。
たとえば、「行かないで」を聴くと、顔は見えないけれど女の人が泣いているのが心のなかで映像化される。 「ワインレッドの心」を聴くと赤ワインが入ったワインのグラスが薄暗い中に浮かび、「あの頃へ」を聴くと雪をかぶった真っ白い大地が見える。
その映像に玉置浩二の唄がバックグラウンドに流れている時さえある。不思議な感覚を覚える。
志ん生は、以前ロンドンへ留学した時に、志ん生の落語のMDを何本か持って行った。
Golders Greenと言うHamstead Heathの横にあるこじんまりした公園で、よく志ん生の落語を聞いた。
目を閉じて志ん生の話が始まると、一瞬にしてそこには江戸の世界が広がる。通りの土の匂いまでするようである。江戸っ子たちがいきいきと通りを行き交う喧騒とした世界。
まるでとこでもドアで現代のロンドンから江戸時代の日本にワープしているよう。
2人とも自分の声と表現力だけでそれができるのだからすごい。何の道具も小細工もいらない。体一つ。
志ん生と言えば、「火焔太鼓」や「らくだ」「お化け長屋」等が有名である。
特に私は「火焔太鼓」と「寝床」のあのバカバカしさが大好きである。何度聴いてもひっくり返って笑ってしまう。
そんなバカバカしい話が志ん生の真骨頂と私は思っているが、実は「文七元結」のような人情物もものすごく良い。
中でも私が大好きなのが志ん生の「芝浜」である。
すごく良い。「芝浜」と言えば名人圓生が有名のようであるが、私が志ん生の「芝浜」がお気に入りである。本人も滅多にやらないと言っている演目である。
夫が起きた時の妻とのやり取りは、本当に近所のおじさんとおばさんのやり取りを聴いているようだし、心を入れ替えて働いて迎えた大晦日の日のやり取りも、本当にそこに夫婦の会話がある。
志ん生のやる女の人は、粋で色気があって天海祐希を思い浮かべてしまう。
芝浜、今夜聴こうかな