2022年元旦、普段の散歩道。川沿いを歩くと1羽のカモが川面を泳いでいた。「一羽でどうしたんだろう?大丈夫かな?」と見た瞬間思った。その後草陰からもう1羽姿を現したのでほっとした。
これは、レストランや食堂で1人でいる人を見掛けた時に、「大丈夫かな?」とまでは思わなくても、ちょっとだけその存在が気になってしまう事に繋がる。
カモが1羽でいた時に、「どうしたんだろう?」と思った理由は、普通は2羽でいることが多いからということもあるけれど、それよりも「大丈夫かな?」と、こちらの気持ちが強かった。「だいじょうぶかな?」=「1羽で生きていけるかな?」「何かあったらどうするのかな?」と言う、サバイバル的な部分がとても気になった。
多分、人がどうしても「おひとり様」と言う事を意識してしまうのは、この本能的な部分からなのではないだろうか? 確かに日本人的に集団行動を良しとするところからの部分もあるかもしれないが、それよりも人は「ひとり」でいる人を見ると、「あの人は果たして生き延びることができるのだろうか?」と言う生命の危機を本能的に感じ取っているのではないか?
かく言う私は「おひとり様」な行動が多い。この歳になると、なかなか一緒に出掛けたりする友達というのは少なくなったものの、まあ普通に友達はいる。ただ、若い時からどちらかと言うとやりたいと思った事はその時その瞬間にやりた性分で、それに付き合ってくれる友達を探す労力、時間を非常に面倒臭いと感じてしまう。
そして自分が「おひとり様」行動をしている時に、「私は生き延びる事ができるのか?」などとは微塵も考えたことはない。ただただやりたい事をやっているだけである。うちの母親はこのような私の行動を到底理解できず、しょっちゅう「不憫」だと思われている。
海外旅行もひとりで平気。ただ、本音を言うと、夕食だけは誰かと一緒に食べたいと思う。理由の一つは1人よりも多く注文できるからと言うのはある。しかしながら、今回のカモの一件を考えると、「食べる」と言う生命に関わる行為については、私なりに無意識に防衛本能が働いているのかもしれない。
長生きについて
とは言っても、今の世の中、ひとりでいたとしても十分長生きできる。医療が進み、人はこの数十年間で寿命が随分と延びた。私の子供の頃は80歳まで生きれば長生きだと言われた。だいたい70代後半で亡くなる方が多かった記憶がある。
長生きしたい理由は、より多くの事を経験したいと思う気持ちがそうさせるのではと思う。「次のオリンピックを観たい」「孫の顔を見たい」「死ぬまでにはあそこに行きたい」「来年も良いお正月を迎えたい」等々。そしてもう1つの理由は単純に死ぬのが怖いから。
そして、人は自分にとって大切な人には1日でも長生きして欲しいと思う。
このような思いと、病気を治したい、苦しみを緩和したいと言う人類の病への挑戦で医療がどんどん発達して、今では80歳になっても敬老会で祝って貰えない程の長寿となってきた。
果たしてそれを本当に幸せと思っている人はどれ位いるのかな?と、元旦早々散歩しながら考えてしまった。
世代的に職場でも友達と話す時も、親の介護の話がとても多くなった。母親を見ていると、どうしても脳や体の衰えのせいで、以前では信じられないような行動が多くなる。オシャレでキレイ好きだった母親はどこに行ったのだろうと思う位、部屋は散らかっており、服も後前反対に着ていたり。
友人や知り合いの話を聞く限り、特別うちの母親が変という訳ではなさそうで、各家庭でそれぞれ何かしらの問題を抱えている。本当に子供のようになってしまう親達。仕方がないことと頭ではわかっていても、なかなか大変である。
自分達は自分達で老後の心配があり仕事を辞める訳にもいかず。仕事に行けば行ったで、色々あって辞めたいと思うことの方が多い。
今の「長生きすること」がだけは出来るようになった日本では、あまり長生きすることが良いことにつながっているようには思えない。長生きすることのデメリットの方が多く感じる。人間としの尊厳が保てるかどうか分からないし、お金はとてつもなく掛かるし、若い世代への負担は多いし、体のあちこちは痛いし、仕事はなかなか引退できないし。
「長生きさせること」が目的であるとしか思えない。そして、結果思いもよらなかった苦悩と苦労を本人も周りも背負っている。よく仕事でもありがちだが、本来の目的を忘れてただただ自分達の技術を誇示するためだけの開発というのがある。どうも今の人類もなんとなくその落とし穴に陥っているのではないだろうか?
自分が長生きしたいと思わない。ただ、実生活では、あれを食べると糖尿病になると言われれば気をつけるし、体に良いと言われることはやっていたりする。長生きしたいとは思わないが、痛い思いをしたくないのである。ピンピンコロリが究極の目標だったりする。もう長生きは良いので、ピンピンコロリを可能にする医学の進歩を目指してほしい。
正月早々暇で2時間も歩いていると、色んな事を考えてしまうもんだ。