このブログを読んでいただいている皆さんには私の性質がなんとなくお分かり頂いていると思いますが、夢中になるとそのことばかりを考えてしまうんです。
そして今私が考えていることは、そう“田村正和”のことばかりです。
会社で話が通じそうな年上のお姉さまに「田村正和かっこいいですよね~」と言ったら、
「今ちょうどBTSの誰が良いかで盛り上がっていたんところで田村正和って・・・」と言われてしまった。ちぇっ。
そもそも2枚目、もしくはモテる男の定義は時代によって変わるのか?
私は少なくとも源氏物語の時代から変わらないのと思っている。
何故ならば、その根本は母性にあるのではないかと考えるからである。
「私がいなければダメだ」と思わせる人が結局モテるのである。
田村正和に当てはめると、ニューヨーク恋物語の役や、ある意味パパはニュースキャスターの鏡竜太郎もそうかもしれない。
そして、モテる男を語る上でもう1つの恋愛文学の教科書であるジェーンオースティンの「高慢と偏見」は絶対無視できない。
私はこの「高慢と偏見」は現代の恋愛漫画、ドラマの全ての根幹だと考えている。
第一印象は最悪の出会い。口下手でとっつきにくい感じを醸し出し、でも最終的には包み込んでくれるような優しさを持っているそのギャップ。
ゴールまでの数々のすれ違いやトラブル。簡単に振り向きそういないプライドの高いいい男が自分のことを好きになる、そして、お金持ちである。
Mr.ダーシー像は、国境を越えた全ての女子が、「この人を振り向かせたい!」と思わせる男ではないか。
例えがすべて古くて申し訳ないが、キャンディ・キャンディのテリーなんかは、このMr.ダーシーそのものである。貴族だし。
私はアンソニーよりテリーが断然好きだった。大人になって一番良いのはアルバートさんで、キャンディは正しい選択をしたということが30年後やっとわかったけれど、当時キャンディがテリーとくっつかなかった事が悔しくて悔しくて。
そんなことはともかく、田村正和の役に当てはめると何かというと、ない。ただ、田村正和そのものがMr.ダーシーだと思う。
なんとなく不器用そうで口下手で、すっとした立ち姿とか、家柄もよくミステリアス。そして色男。基本モテる。
もう2000年も20年以上過ぎた今、老後のことも考えずこんなことを考えていて良いものかと自分でも思うが、今しばらく田村正和に夢中でいたい。ああ、素敵~。