突然無性に聴きたくなり、聴くと中毒の様に聴きたくなるのが玉置浩二の怖さである。
私の場合、ずっと聴いている訳ではなく、玉置浩二ブームが定期的に訪れ、その期間はとにかく玉置浩二が気になって聴きたくてしょうがない。
ブームが去ると、普通に他の音楽を聴く。
全ての曲が好きな訳ではない。
歌詞よりもメロディが重要で、重い内容の歌詞は逆に苦手てである。歌詞がメロディを超えて届いてくる。私は歌詞をメロディの一部として聞きたい。
玉置浩二は例えて言うなら弦楽器である。ピアノのような一音一音の場所が決まっていて離れていない。音と音の間が余韻で繋がってる。
その余韻が強いものであったり柔らかいものであったり。余韻を強くしたり柔らかくしたりするのが歌詞つまり言葉の発声であったり意味である。それがとても心地良く響いてくる。
先日の玉置浩二ショー以来、またブームが再来してずっと聴いている。