アラフィフ女子's diary

玉置浩二、乗馬、ダイエット、仕事、家族の色々

母親と知的障害者の関係を思う

朝ごはんを食べれている時に、知的障害を持った男の子が近所の側溝でおぼれて亡くなったと言うニュースが耳に入ってきた。

 

まず一番最初に頭に浮かんだことは、その子のことが可哀相と言う思いよりも、その男の子の母親の事であった。

 

何回かこのブログでも書いているが、私の兄は知的障碍者である。私が生まれた時からずっと母親のそばにその自閉症の兄がいた。

 

今よりも子供の頃の方が母親は大変だったと思う。目を離すとすぐにどこかに行ってしまう。

 

バスが大好きで、知らないうちにバスに乗ってどこかに行ってしまったり、近所の家に勝手に上がってテレビを見たり冷蔵庫の中の物を食べたり。

 

計算ができたり漢字も書けるが、普通の人が“やってはいけない”と理解している事が理解できないのである。母親は相当苦労したと思う。

 

妹の私はそんな兄を不憫に思うと言うよりは、学校で兄の事でからかわれる事もあったり、兄に手がかかる分丈夫な私は放ったらかしだったし、そうかと思えば「お兄ちゃんを見ててね」だの「大きくなったらお前がお兄ちゃんを見るんだよ」と言われて育ったため、どちらかと言うと「面白くない迷惑な」存在であった。兄に罪はない事は分かっているが、これが正直な気持ちであった。

 

ただ、母親にとって兄はとてもとても大切である事は幼い頃から感じていた。

 

どう言う職業に就いてもらいたいとか、どう言う人間になってもらいたいと言う事ではなく、ただただ、兄が困らないように生きていく事だけを考えてきたのではないかと思う。一人では生きていく事ができない兄の将来を考える時の母親の気持ちはどう言うものなんだろうと考える時がある。こう言うのは非常に不謹慎と分かっているが、ある意味自分より先に逝ってしまった方が、ほっとできるのではないかと思う時もある。

 

このニュースを聞いた時も一瞬思った。この男の子の知的障害の度合いは分からない。ただ兄と同じようであったらそう考えるのではないか?

 

でも、そんな時に必ず思い浮かぶのが、兄のことを大切に思っている母親のことである。

 

どんなに大変でどんなに心配であっても、何よりも大切な宝物である。

 

どんなにかつらいんだろうなぁと思いながら朝食を食べ終えた。

 

 

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