アラフィフ女子's diary

玉置浩二、乗馬、ダイエット、仕事、家族の色々

多年草に思いを馳せる歳になったなぁ…

と、しみじみ思う。

 

母親が2年前の冬、鉢植えの多年草を2つ購入し、キッチンに置いた。

 

名前は分からない。紫色の花の鉢と白い花の鉢。冬から春にかけて咲く。

 

たいして気に留めていなかった。

 

その冬年が明けるとすぐに父親が心筋梗塞で突然逝ってしまった。

 

その少し前に白内障の手術をしたが視力が回復せず、また坐骨神経痛らしき痛みが酷くなっていた母親は、父の死でさらにショックを受けて精神的にかなり混乱していた。

 

兄が1人いるが自閉症であるため、父親の葬儀や色々な事は私一人でやらなければならず、叔母さんや叔父さんがかなり力になってくれたが、それでも大変だった。

 

そんな時、キッチンに行くと必ず鉢植えに目が止まった。

 

キレイと思う感情よりも水をあげなきゃという義務感で。

 

その年はたくさん花をつけた。家の中の混乱をよそに次から次へと花を咲かせていた。

 

春になり夏になるうちに白い花の鉢は枯れてしまった。

 

冬が来て年が明けて父親の命日が来た頃、紫色の鉢に花が咲いた。

 

花を見ると、あれから1年経ったんだなぁとしみじみ思った。

 

一時期は認知症を疑った母親も、その頃にはようやく落ち着いてきて、花が咲いたのをたいそう喜んでいた、「よく咲いたねぇ」と。

 

そらからまた1年経ち、父親の2回目の命日の頃、さすがに土を変えていないせいか葉っぱの色も悪く花を咲かせる気配がなかった。もうさすがにダメかなとあきらめていた。

 

ところが3月になった頃、ツボミが葉っぱの中から伸びてきて、紫色のの花が咲いた。

 

今年も咲いた。

 

花を見るたび、父親が突然逝ってしまった冬を思い出す。父親を思い出すというのではなく、父親が突然いなくなった家の中の淋しくも混乱した情景が鮮明に思い出される、まるでその時の家の中を上から眺めているように。

 

同時に今普通に生活している事をしみじみと感じる。

 

何事もなかったように季節がくれば花をつけて咲く。でも、去年よりは花自体も少し年を取ったことを感じさせるように。

 

強い強い花。

 

今年こそ鉢と土を変えてあげよう。

 

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