私は十数年乗馬をやっている。
色々な物に手を出してはみたが、これだけ長く続いた趣味と呼べる物はない。
現在も週3回位は時間を作って行っている。
そして、今回父親が亡くなり母親がまいってしまった時に、この趣味にどれだけ救われたことか。
何度もこのブログでも書いてきたが、父親が亡くなってから母親の様子がおかしい。最近では少しはマシになってきたが、鬱っぽい期間が続き、その後は認知症も疑った。
精神的な部分プラス、父親が亡くなる少し前から緑内障や坐骨神経痛が酷くなり、身体的にも少し手がかかるようになってきた。特に、このど田舎で車に乗れなくなったのは本人も周りも本当にキツイ。なので、せっかくの週末も、毎土曜日はどこぞの病院へ連れて行かないといけない。
そしてもともとのわがままな性格と、年寄り独特の人の言う事を聞かない性分。
とにかく時間的にも精神的にも振り回される。まだ介護ではないうちからこの状態。
父親が亡くなって1か月経った頃から私は乗馬に復帰した。大きな理由の一つは、実は私は自分の馬を持っているので、様子が気になっていたから。馬を持っている事は親、親戚一同誰も知らない。ひた隠しにしている、隠し馬である。
乗馬クラブに行き久しぶりに馬に乗ると、乗馬に集中して、家の事を忘れた。
そして、仲間に会い、乗馬の事やくだらない世間話をいつものようにしたり、親の愚痴を聞いてもらった。
ほっとした。以前と変わらない自分が楽しめる空間があった。
それからも、週3回はと決めて行くようにしている。
母親に何か頼まれても、乗馬の時間だけは取れるように時間を調整する。
母親を優先してしまうと、多分母親の事を疎ましく思い、恨んでしまう。だから母親を絶対的には優先しない。乗馬に行ければ、まあ好きな事もやっているのだから、と言う気持ちに余裕が生まれる。
親が歳を取り面倒を見ると言うことは、仕方がない事であるとともに、正直ショックであり、今までの生活からすると大きな変化である。
逃げられない分、自分の生活がこのまま激変するのではないかと大きな不安が心に生じる。
そんな時に、変わらない自分だけの世界があると自分を取り戻せる。仲間がいればなおいい。
私の場合は、馬の存在も大きい。馬はセラピーホースがいる位、癒し効果が高い動物。近くにいるだけで、知らない間に癒されているのだと思う。
なんでもいいと思う。それをやっている間だけは、大変な日常が忘れられれば。
本当に介護をしている人は、そんな呑気な事を言っている余裕がないかもしれない。
でも、やっぱり自分の気持ちに余裕がないと、人には優しくできないと思う。
特に自分の親ともなれば手強いし、お互い容赦がなくなる。そして逃げられない。
そういう状況になってしまうと、その何かを探す事自体難しくなると思う。
なので是非、そういう状況になる前に自分だけの空間となる趣味を見つけておいてください。親のために、そして自分のために!