アラフィフ女子's diary

玉置浩二、乗馬、ダイエット、仕事、家族の色々

令和の初日も平々凡々

昭和生まれの私は、昭和の人間と言う意識が強いが、よくよく考えてみると実は平成の方が人生に占める割合が長かった。

 

令和の初日は、まったくもって普通の日であった。

 

朝起きて曇り空。昨日が一日中雨だったので一歩も外に出なかった分を取り返すべく、朝1時間ほど歩いた。

 

その後、玄関回りの草取りをちょこっとして、それでも少しはおめでたい事をしたいと思い、昼に母親と兄を連れて鰻を食べに行った。

 

行く前にいつものごとく母親とひと悶着あった。私の中では母親と兄にも少し「特別な日」を味わってもらいたいと言う思いからの提案であった。だが、

 

「あんまりお腹も空いてないんだけどね」と、相変わらず憎たらしい事を言う母親。

 

「まあそんな事言わずにせっかくだから行こうよ」と他人なら言えるが母親には言えない。気分が悪いったらありゃしない。

 

お腹が空いていないと言っていた割にはほぼ完食した母親。何かしてあげたいと思った私の気も済んだのでよしとする。

 

家に帰りテレビを観た。

 

新しい天皇陛下と皇后陛下の事を永遠にやっていた。

 

ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」に、ホモサピエンスの最大の特徴は、「見えない物」「存在しない物」を信じて共有できることだそうだ。

 

これによって大きな集団を1つにまとめる事ができ、この能力が人類が地球を支配できた原動力であるとあった。

 

天皇と言う存在はまさに「そう言う」存在である。戦後米国が日本をまとめ「西側の一員」として復興させるために利用したのも天皇であった。

 

私は天皇制度を反対かと言えば、反対ではない。むしろ賛成派である。

 

もし天皇陛下がいなくて国のトップと言える存在が総理大臣だけになってしまうと、なんとも頼りがない気がする。どの総理もイマイチ信用しがたい。胡散臭い。

 

天皇陛下は自分たちの選択できる範疇にない存在である。

 

そういう存在ってあっても良いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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